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ちあきさん うまいなぁ~

  • てん鞠
  • 2017/11/23 (Thu) 17:23:56
偶然 お得な物を見つけたような気持ちです。

Re: ちあきさん うまいなぁ~

  • もち
  • 2017/11/23 (Thu) 18:08:02
ありがとうございます。

私は歌の巧さでは此れまで彼女が一番だと感じています。

この元歌はアメリカの作者不明の娼婦館を歌った
フォークソングですよね。
ボブ・ディランもデビューアルバムに入れていて
フォークソングにありがちな平坦な歌なんだけど
ここでイギリスからアニマルズちゅーのが出て来て
メンバーのキーボード奏者、アラン・プライスが
見事なアレンジでドラマチックな名曲に生まれ変
わらせてしまいました。

例えば歌詞の冒頭、
There is a house in New Orleans とありますが
ISの辺りの旋律が原曲では下がるんだけどアニマル
ズのアレンジはオクターヴ上がったりするんですね。
これがギターのリフ、分散アルぺジオにマッチして
歌い上げるようなドラマチックな歌になったのです。

ところで、ちあきさん
ご主人の郷瑛治が亡くなって、ずっと喪に服すような
生き方をされて郷さんは幸せな男ですね、
中村八大が自身で最高作としている「黄昏のビギン」
水原弘が歌い上げる結構、難しい歌なんですが、
ちあきさんの淡々とした唱法がイメージを一新させて
見事なものですね。
晩年はjazzが好きだった旦那のプロデュースで
次第にドラマチックな語り歌へと転じた印象です。

こんないい歌があったのかと感じるのは「夜へ急ぐ人」
これは慣れるまで何度も聴き込まないと気持ち悪いと
感じる歌になるかもしれませんが、何度も聴いている
うちに次第に沁みてきました。



NHKのビッグショーかな?いまだにアーカイヴに
ファンクラブが呼び掛けて再放送の要請を出し続けて
います。
実際に何度か再放送されています。
みんチャで知り合えた方に録画して貰ったのがあるん
だけれど、ビデオデッキを新しく買わないと観れない
時代になってしまったな。

Re: ちあきさん うまいなぁ~

  • てん鞠
  • 2017/11/23 (Thu) 21:37:46
夜を急ぐ人  すごい表現力ですね!
単に歌唱力というのではなく、何と言えば良いんでしょう!

私がちあきなおみさんの歌の良さを知ったのはみんチャの方からファイルを送ってもらった「星影の小径」を聴いたときでした。
残念ながらその頃にはもうテレビ画面で彼女の歌う姿を見る機会はなくなっていました。そうでしたか・・喪に服された人生を・・・
ますます彼女の歌が本物に感じられるエピソードですね。

あちらのお部屋で話題に上がっていたcotton fieldのオリジナル作者の方が歌っている house of the rising sunがあったので貼っておきます。IS が確かに下がっていますね~

平尾昌章

  • もち
  • 2017/11/20 (Mon) 21:11:23
小坂さんに続いて
亡くなった平尾さんに敬意を表しておきましょうか。
昌晃より昌章の字が馴染みです。

伯父さんが国立音大の教授だとか経済的に裕福で
文化芸術の環境で育った方なんですね。
君はボクより年上と♪と一曲だけで一生食えた山下
敬一郎や売れない時代の矢沢を不当な契約でカネにした
ミッキーカーチスとかが人気を得た時代で、音楽性で
平尾さんは飛びぬけていましたね。

最初の持ち歌ですね。星はなんでも知っている。
作曲の津々美洋は有能なギター弾きでシャボン玉ホリデー
などでもバックで演奏していました。
彼も小坂さんが関わったワゴンマスターズの流れに属する
方で黛ジュンの元旦那、男優だった江藤潤の実兄、江藤勲
たちと活動していました。
実力ありながら地味に生きたナイスガイでした。

https://www.uta-net.com/movie/4170/

私が最初に洋楽カバーの曲に目覚めた歌です。
元々ポール・アンカと同世代のニール・セダカのヒット
曲ですが、一番ヒットしたのは日本だったらしいですね。



其の後、カバー曲や「ミヨちゃん」とかの自作ヒットも
ある中で61年には「おもいで」をリリースするもヒット
に至らず数年を経て忘れられた頃に北海道のDJが頻繁
に紹介してくれて脚光を浴び、それまでヒット曲の無か
った布施明が歌い広く知られるようになり、私が平尾さん
の最高作だと感じている「霧の摩周湖」へと流れます。

平尾さんの「おもいで」はビギンのリズムで始まりますね、


ロリコン趣味だった平尾さんが「カナダからの手紙」で
畑中を連れてカムバックしたときは驚きました。
霧の摩周湖が最高作と書いたけど、この歌もいいなぁ
ゆかりさん、古希になられてもいいですねぇ。

Re: 平尾昌章

  • 三咲
  • 2017/11/22 (Wed) 05:26:20
平尾さん、最初は何だか不良っぽいイメージでした。
(独断と偏見です。ペコリ(o_ _)o)))
「思い出」いい曲でしたね。布施明さんも素敵でした。
平尾昌章さんの曲で、好きなのは、
ささきいさおさんが歌っている「銀河鉄道999」、
テレビアニメのオープニング主題歌です。
(作詞;橋本淳)

Re: 平尾昌章

  • もち
  • 2017/11/23 (Thu) 10:12:04
ロックは不良っぽく作られたイメージ商法ですね。
悪役を演じても実は気弱な善人が現実だったりします。
布施明は、どちらかと言うと男の支持は少ないタイプ
かな、男が惚れるカッコ良さとは別なキャラでしたから。
私は「銀河鉄道999」の歌は知らないけれど原作の
漫画家「ちばてつや」には多くの作品で感動しました。

ちかいの魔球、紫電改のタカ他ストーリー性においても
絵の温かさやら夢中になったものです。
佐々木功も和製プレスリーとして出て来た歌手でしたね。
宇宙戦艦ヤマトで当たる迄はヒットも無く歌手というより
半端な悪人役を演じた役者が長かったように感じます。

こういうタイプでは、もっと後に本郷直樹なんてのも居たな。
橋本淳はGS時代に多く見かけた名前でした。

Re: 平尾昌章

  • まこ
  • 2017/11/23 (Thu) 16:45:38
 おもいで  題名を見ても全然思い浮かばなかったのですが、
 聴いてみると~~^^しってるぅ~~~~~
 あなたと歩いたあの道~~何にも言わずにうつむいて・・・
 さよなら~初恋~~♪
 霧の摩周湖  平尾昌章さんやったんやねぇ・・・

 伊東ゆかりさん・・・あなたがかんだ~~小指のおもいで?? だったかなぁ?
 思いだしました!  佐川満男さんの 「今はしあわせかい」
 この曲もあの頃家を出て、西宮に~~一生懸命だったころでし
 た。  次から次と昔の頃のことを思い出してると、その時の
 音楽も一緒に思いだせます。  楽しいです。

Re: 平尾昌章

  • もち
  • 2017/11/23 (Thu) 17:30:24
ありがとうございます。

まこさんにとって、おもいでと付くタイトルの歌となると
おもいでの鎌倉幕府
おもいでの蒙古軍日本海撃沈
おもいでのハマグリ御門の変

辺りかなぁ?そんな歌は無いって?失礼しました。
西宮で住んだことがあるんですね。
ダーリンを置いて若いツバメと逃避行だったのかな?
私は宮前町に好きだった方がおりましたが・・・
いつだったか、酒蔵巡りの催しが済んだ後に住まいの
辺りを歩いたら、まだお家がありました。
語呂合わせで電話番号をいまだに覚えておりますが。
電話して消息がわかって独りだと深い仲になるのが
怖くてできません。
話が飛躍し過ぎているでしょうか・・・・

いまは幸せかい・・・グッとくる切ない歌詞です。
佐川ミツオ、無情の夢とかの
リバイバルで大昔に人気でしたね。
こんなの聴くと彼も若かったんだなぁと感じます。

嵐も吹けば雨も降る♪

  • もち
  • 2017/11/23 (Thu) 10:54:37
一週間、親が働き詰めで、やっと来た日曜日は
映画ばかりでした。
いま振り返ってみれば、ほんの短い期間でしたが
残る記憶では、もっと長かったように感じるのが
不思議です。
小津安二郎の映画でもっとも好きなところは、
我々世代の親たちが若くて元気な頃の映画だから
です。
映画の中のように私の親も若くて笑っていました。

映画を観終わってから必ず本屋に寄り、少年画報
少年ブック、冒険王、ぼくら等の、月間漫画誌を
買い夕食を外食で済ませて家路を急ぐ。
夕食と言ってもカレーライスか中華そば。
ともに¥50程度な世の中でした。
少年探偵団、赤胴鈴之助、月光仮面他々と憧れる
ヒーローが大勢いました。
中でも月光仮面が一番でした。
映画やTVであったのですがTVは住まいに無く
映画で観たのが最初だったかな?
大概子供向けのヒーロー役は大成しない方が多く
この方は後に村西とおるとかと関わってAV監督
になるっていうから驚きです。

TV版は大瀬康一、後の隠密剣士が良かったなぁ。
霧の屯兵衛は正義漢だけど弱くて・・・・・
https://www.youtube.com/watch?v=Ts4Nel1xQZo

この月光仮面のエンディングに使われたのがビク
ターのフランク永井を真似たのでしょうか?
キングレコードのフランクと呼べるような三船浩。
男のブルース、東京だより、夜霧の滑走路とかの
ヒットがあったとか。



こんなムード歌謡のような歌を当時の子供はどの
ように聴いたのでしょうね^^

で、話題が変わってスキヤキよりも早くに外国で
人気となり、いまやハワイではスタンダード曲と
なっているのが、この歌でした。



追伸
新撰組の歌も懐かしいな確か近藤さんを中村竹弥。

あの頃語り

  • もち
  • 2017/11/21 (Tue) 18:05:04
1950年代に日本のJAZZ界となると
ダンスミュージックやディキシージャズが
主でポピュラー音楽なる言葉も無く総てを
ひっくるめてジャズと呼んでいたらしいで
すね。

57年にはベニー・グッドマンOrも来日
しています。
このOrにクラリネットのピーナッツ・ハ
ッコーが居たのですが彼がある夜に銀座の
某クラブに遊びに行くと、そこで演奏して
いたのが鈴木章治とリズムエース。
その演奏でハッコーが
「いい曲じゃないかオレも吹きたい」
と申し出たのが1942年に灰田勝彦が歌
った、この歌でした。



話はトントンと進み1957年1月17日
にTBSのスタジオで放送用に録音したら
反響が多くレコードも売れたのだとか。
当然、私は幼少の身分で記録をコピーして
いるしかありません。
その歴史的名演が、これです。
曲は勿論、イントロやエンディングのアン
サンブル、もうたまらないほど大好きです。



ジャズの人気が日本に根付くのは此れより
数年後の、61年のアート・ブレーキーと
ジャズメッセンジャーズの来日からが定説
となっています。
その中でも来日以前にフランスのクラブで
演奏され客席から思わず「嗚呼~神様」と
叫ばれた、この曲に人気が爆発しました。



戦後の進駐軍相手にジャズを演じてカネを
稼ぐミュージシャンの中に、ペギー葉山も
いたのですが、進駐軍も徐々に日本を去り
売れないジャズ業界で、これを歌ってみな
いか?と話があったのが籠の鳥エレジーを
歌った鈴木三重子が歌ってヒットしなかっ
た「南国土佐を後にして」

ところが、洋楽が好きで歌手になったので
田舎クサイ民謡のような、この歌が好きに
なれない。
イヤだイヤだと思いながら歌ったら意外や
大きな反応、レコードもミリオンセラーに
なって途端に自分のベストになるんだから
先行きは分からないものです。



勿論、大ヒットしたこの歌も映画化されて
いるのです。



余談ですが、映画の中で小林旭がダイスを
縦に積む場面がありますが、スター千一夜
のゲストで出てきたときに司会者がホント
にあんなことが出来るのか?
と問ったところ、実際にやって見せてまし
たね。


小坂一也

  • もち
  • 2017/11/19 (Sun) 12:23:25
1950年代末期から60年代初頭辺りは、戦後から
続くハワイアンやカントリー&ミュージックが人気で
した。
福岡黒田藩の末裔である黒田美治や寺本圭一、ジミー
時田、本場米国ナッシュビルの舞台でも堂々たる演奏
を披露できるほどの凄腕プレーヤーが排出したと記録
にあります。

なにせ私は幼い頃ですので一般的なラジオ放送の枠で
しか情報が入りませんので現実は全く不明です。
ですが、それらのグループのメンバーから其の後に大
きく活躍するミュージシャンが生まれます。
プレーヤーの楽器を運んだりするバンドボーイからは
坂本九を代表に次々と日本語で歌う洋楽カバーのブー
ム時代が来ると次第に、ゆったりとしたハワイアンや
素朴なカントリーは世代交代のように消えプレスリー
の登場で日本の軽音楽シーンも激しいリズムへと変化
します。

その谷間を埋めたのがロカビリーとされた平尾昌章や
ミッキー・カーチス他となるでしょうか。
私の史観では其れ以前の数年にカントリーブームから
ロカビリーを繋いだのが、小坂一也だったのではない
かと思うのです。
彼は亡くなった政治家羽田孜さんと同級生だったとか。
其の後の音楽界や放送関連に関わった才能ある方達を
生んだ「ワゴン・マスターズ」の歌手でした。

そのメンバーはホリプロの創始者、堀威夫、日本のバ
ラエティ番組の祖ともいえる日本テレビの井原高志、
ビクターの鳥尾や他々と重鎮の若き頃です。
小坂一也の音楽活動が短かったのは演技に目覚めたか
らでしょう。
私の記憶にあるのは歌手・小坂一也ではなく演技者の
小坂さんでした。
プレスリーに最初に食いついたのも彼でしたが流動的
な音楽界よりも、名匠木下恵介監督に認められた演技
に魅力を感じられたのでしょう。

実際、カネの問題だとか異性問題や引き抜きケンカと
いった理由のメンバーチェンジが常に起こったことに
嫌気も差したのかもしれません。
口約束がまかり通った業界をまとめようと、後にベー
ス弾きだった渡辺晋やギター堀威夫辺りがミュージシ
ャンの気まぐれで収拾がつかない創成期の改革として
契約によるミュージシャンの安定を目論んだプロダク
ション形式へと移行します。

それでは重要な位置に居られた「小坂一也」の歌を。









先生役の馬渕晴子が懐かしい。
この年齢になると、この一コマだけ観ても
目頭が熱くなります。
世話になったことを忘れずに人が集う、
気に入らないと直ぐに怒って其れまでの恩も
忘れる今の日本人が失いつつある純な時代。

Re: 小坂一也

  • 三咲
  • 2017/11/19 (Sun) 13:42:29
記念樹、懐かしいですね。
ドラマ一つ一つは覚えていませんが、
子供達が走って来て、記念樹を植えるシーンを覚えています。

小坂一也さん、その一曲しか知りませんでした。(^^;)
ローハイドは、イントロだけ、男の子たちが口づさんでいたと思います。デビ―クロケットは、NHK[みんなのうた」で聞きました。それは、小坂さんではなく、別の人の歌だったかも。

嬉しきゃ泣いて、寂しきゃ笑うんだ♪
…、そういう時代、そういう世代。

Re: 小坂一也

  • もち
  • 2017/11/19 (Sun) 17:25:33
ありがとうございます。
他に持ち歌で知られているのは
「青春サイクリング」かな。


ローハイドは当時に当然な存在だったTV西部劇。
Cイーストウッドが若造の色男を演じていたことで
知られています。
まだ従姉が京都に嫁入りする前に母と姉妹のような
関りだった方の住まいに泊りがけで伺うこともあり
その際に夜になるとTVのある家として近所の方が
一斉に集って力道山のプロレスやローハイドを見る
のですが、中にいたオバサンがローハイドの隊長役
だったEフレミング命とする方で、役柄がフェイバ
ーなる名前。

画面に映る度に「好きよ~~~~」と言うから其の
場の全員が大笑いになる大人たちの騒ぎ方が子供の
私には不思議なものでした。
この役者さん、映画のロケ中に川に流されてだった
かな?亡くなりました。
コンバットで知られたサンダース軍曹役の男優、
名前なんだったっけ??
出て来ない、彼こそ悲惨で飛行機の回るプロペラに
巻き込まれたのが死因でした。

ローハイドは日本でも多くがカバーしまして、中に
伊藤素道とリリオリズムエアーズが、ローハーーィ
と歌ってドの辺りの音をスリッパでメンバーの頭を
叩くギャグが受けました。

プロレスなどは、おばさんが「〇ンポ蹴ったれ!」
とか言うから、これまた驚きのエキサイティングで。
このような環境で育った私が堅気の世界に居られた
のは一途な努力があったことを証明しております。

デイビー・クロケットは実在の人物で映画では大作
「アラモ」で権力志向の男優、ジョン・ウエインが
が演じましたね。

しっかし、自分ながら自然と色々と頭の中に詰まっ
たことに驚きです。



Re: 小坂一也(2)

  • 三咲
  • 2017/11/20 (Mon) 12:59:59
再びお邪魔いたします。
「青春サイクリング」、そのタイトルは知りませんでしたが
「サイクリング、サイクリング、ヤッホーヤッホー♪」は聞いたことが有りました。勝手に藤山一郎だと思い込んでおりました。(^^;

Re: 小坂一也3

  • もち
  • 2017/11/20 (Mon) 15:00:08
藤山一郎ってあなた・・・
思いつく辺りの高齢線の放射が強烈だし・・・
山々がある地で育ったならサイクリングは
ヤッホーではなくて、
ヨっコラショ~、ヨっコラショ~と歌うのかも・・・

それとも、こちらかな?

Re: 小坂一也-4

  • 三咲
  • 2017/11/20 (Mon) 17:26:40
むふふ^m^、
だって、「高原列車はららららっ、ゆくよーっ♪」の、
続きみたいじゃありません?。…((*´∀`*)
山越え、谷越え、はるばると、サイクリング、サイクリング
(笑)
山紫水明の地は広うございまして、
貸自転車屋さんが繁盛した辺りも
ございますのでございますよ♪

「ひよっこ」に出て来たボンネットバス、
乗ったこと、あります。
都会では、走ってなかったのかしら。「(゚ペ)?

Re: 小坂一也5

  • もち
  • 2017/11/20 (Mon) 19:00:12
 旧中仙道をフジテレビに居た女子アナが
いちにちぢゅうイやまみち、とニュースで
読んだらしいけど、その方なら
やまむらさきみずあけ、と読みそうな

大阪には「さんしすいめい」羨望な環境ですな。
ボンネットバス、此方でもありましたよ。
まだ自転車も貴重な時代でしたし、イタリアの
映画にも「自転車泥棒」なんて名画がありますね。

今のチヤリ泥棒は一寸目的地までな感覚で片道の
利用が多いようですね。
貴重な時代ですからバスの定期便数も多い。
待ってりゃ次がやって来る。

で・・何年か過ぎるとボツボツと先の平たい観光
バスの様なのがローテーションに入って来るんですね。
バス会社も資本投入を一気に出来ないから10便を
走らせるなら、その合間に新規投入の新型バスを
走らせる。
子供だから、新型バスに乗ると旅行したような錯覚を
覚えますから楽しみで、ボンネットが来ても次に新型
が来るかもと何便かを先に行かせて待っているなんて
こともしましたねぇ。

バスガイドも当然のようにいました。
途中から乗った方の切符業務や、バックにオーライ
とか運転手の補助をしていましたっけ。
私の伯母も徳島で当時の花形だった業種のバスガイド
をして、10代で運転手と結婚しました。
悲運でした、旦那は山間の事故で亡くなりました。
早い子は出来がいいっていうけれど、息子は京大で
土木工学を学び高専の教授になったな。

花形だった業種も次第の合理化でワンマンバスなんて
名前がついて居なくなりました。
バス旅行でもツアー会社の添乗員が入り、
ガイドは付かないですね。